夢の細道

夢日記

釣り日記ではない 6

そこは人のほとんど訪れることのない人々にうち捨てられ忘れかけられた70メートルほどの海に突き出た突堤でたまに物好きな老釣り師が竿を出すくらいの釣り人さえにも見捨てられた海鳥の姿もないうら淋しい場所だった。今はなんの用途もないが昔は小さな漁船の停泊のために作られたのだろうか。戦時下に人間魚雷の出撃基地として作られた遺物のような。停車駅からほど遠く駐車場もないが海沿いの道路の向こう側に小さなコンビニがあってトイレの役にはなっている。なんの魚も釣れることはほとんどないが、まれに黒鯛が釣れるという噂があった。いつか釣れることがあるのだろうか?怪訝な思いで今日も無意味に竿を出す。でも、何故か、海と光と風に包まれて、気持が楽になる。

釣り日記ではない 5

クロダイがよく釣れるという港に行ってみた。風が強く折りたたみ椅子が飛ばされそうだ。右手の方にベテランチヌ釣り師が一組いる。このベテランが時おり竿を曲げている。チヌ以外の釣り人たちに釣れている気配はない。波は午前中は2メートル午後からベタなぎの予報だ。ベテランがクロダイを取り込んでいるので見に行った。30センチオーバーの美しいクロダイだ。付け餌は普通のオキアミだという。ウキ下は底にはわせるようにするんだという。ベテランがスカリを引き上げると10匹以上のクロダイが入っていて驚いた。自分の場所に戻ってウキ下を底まで下げた。コチトラ遠矢流ミニダンゴ釣りだ。程なく30センチ程のクロダイがきた。それから昼過ぎまではクロダイの入れ食いである。棒ウキがスポスポ沈む。タマゲタ。こんなことがあるんか。夢なら覚めないでチョー。ベタなぎとなってクロの食いはピタリと止まった。ベテランもさっさとスクーターで帰ってしまった。  正月は朝からクロダイの刺身と頭つき塩焼でジャンジャン酒が飲めるドー。

釣り日記ではない 4

富士山の見える港で小アジ釣りをしていた。ふだんはチヌやシーバスやタチウオやアオリイカやで小アジなどに手を出す私ではないのだが、前回、たまたま釣って持ち帰って塩焼きしたアジが旨くない、アジは旨いという通念がめっちゃ壊された。以前、ワカサギにはまっていた頃、どの湖のワカサギも美味しいのだが、某湖のワカサギだけは何度食べても極めて不味い。水質汚染のせいかと思ったりする。同様にこの素晴らしく富士山の見える年中アジの釣れる某港もなにかよくない原因があってのことだろうか。この港の近くに移住しようと本気に思っていた私は大変残念がった。残念のあまり夢の中でもう一度だけとアジ釣りを始めていた。餌のアミコマセが足りなくなりそうなので、近くの宿に戻っておかみさんに近所に釣具店はないかと聞いてみると、あるという。おかみさんも買い物ついでに釣具店へ案内してくれるというので、一緒に出かけた。くたびれてつぶれかけた小屋の一区に釣具店があった。おかみさんは洋装店のほうに行った。赤ら顔のオヤジが釣具店の中にいた。餌のアミコマセはあるかときくと、凍った4キロブロックのアミコマセの塊をだしてきた。この時、私は財布を持ってないことに気付いた。宿に戻って財布を取ってこよう。ついでに仕掛けも買っておこう。針はトリックサビキの7号か8号だ。店のオヤジが変わったサビキ針を出してきた。今度釣ったら、小アジ料理の定番の唐揚げや南蛮漬けにしてみよう。それでも不味かったら移住はヤメだ。

殺人

インドネシアだかアマゾンの奥地のとある部族に呪いの一つの方法として夢の中で敵を殺すとそれは現実に殺害したのと同じ効果が得られるという風習があるというのをどこかで読んだことがあったが、この夜にオリックス阪神第3戦を見ているうちにウツラウツラして普段オモシロくないと思っているB君が夢に現れ野球のボールを妻と協力してB君の両側にタッチすればB君を殺せることになっていて私はB君を袋小路に追い詰めてボールをタッチアウトして遅ればせに追いかけてきた妻に早くしろと怒鳴ってやっと妻もタッチアウトすることができたがB君が本当に死んでいるかどうかは確かめようがない。(私は結婚してないから妻はいない)

 

なんだかな

夢って大体が表現しにくく、そんなもんほっといてくれ、なんの関わりもまっぴらごめんだとばかり毎日知らんふりしてるのだが、この日は釣り場の前で入場制限がかけられていて、大勢の人たちと一緒にいまかいまかと入場を待っていた。入ったらすぐ釣れるように竿に釣り針もセットしておいた。早く入れてくれないと魚が逃げちゃうぞと叫びたい気持だった。待っているのは遊園地にでも入ろうとしているかのような家族連れも多かった。隣は婆さんが孫だろう二人の女の子を連れていて、大きい方が退屈のあまりしきりに私にチョッカイを出そうとしていて、それを婆さんがたしなめていた。私が女の子に応じようとすると隣の男が釣り道具を持っていては危険だと私をたしなめた。竿先に釣り針がゆらゆらしていた。それでも女の子は、「とても人に価値があってよく使われているものは何か」とナゾナゾを私にだした。それはバナナ🍌かリンゴ🍎ではないかと思った。婆さんはテレビの裏に置いてある切り替え装置ではないかとか言った。私はせせら笑って、それを女の子に分かるように声に出してちゃんと言ってみろと忠告した。

つまり表現しやすい夢だけをピックアップしているだけで、ほとんどの夢は未表現のままだということだ。

釣り日記ではない 3

いつものように知らない街をさまよってからビルの屋上に行き着いた。二人の女がいて知人のようだった。その屋上からやや小さな漁港を見渡せ、堤防には数人の釣り人の姿があった。ここに来ればなにが釣れているかをよく観察できて便利だなと思った。すると手前にいた青年が釣り竿を強烈に曲げて魚を取り込もうとしていた。私は急いで青年のもとに駆けつけた。青年がタオルにくるんだ魚を見せてくれた。竿を曲げたわりには大きくない魚で、三角の頭で大きな口にはワニのような鋭い歯がはえていた。奇妙な格好の魚で、青年はワニゴチだとか言ったが、絶滅した三角頭の古生物のようでもあり、私が以前釣ったことのあるアカエソのオバケのようでもあった。どうやってさばくのだろうか、食えるのだろうかと思った。ここではクロダイは釣れますか、と青年に聞いてみた。私は釣りの対象魚をクロダイにしぼろうと思っていた。青年はここではチヌは釣れないと言うので少しがっかりした。ここはカサモノしか釣れないと青年が言った。カサモノってなんだろう?コチやホウボウなどのソコモノのことだろうか?

カフカ

私は敵の要人を警護する仕事をしていた。私がガードしていた男が銃で肩を撃たれた。私は急いで安全な車輌に撃たれた男を乗せた。男を撃ったのは私の仲間だった。私はこの国の人々にとって敵なのか味方なのか複雑な気持になった。 

 

そのバーで月一度の読書会が行われていた。私はカウンター席の端に座ってハイボールを飲んでいた。グラスの脇にその日の課題の文庫本を置いていた。そこに外人の男が現れてなんの本を読んでるんですかと尋ねられた。昭和の抒情的小説ですと私が言った。すると外人は自分はカフカが大好きですと言った。今でも海外ではカフカは人気があるんだなと私が言うと二つ席向こうの物知り顔の女が皮肉っぽく笑った。カフカ好きの友人のK君がいたらこの外人と話が弾んだろうなと思った。さっき笑った物知り顔の女がカフカもそうだけど今でもサルトルボーヴォワールを読む人達がまだいるみたいね。ありゃ幸せな時代の遺物にしか過ぎないのよ。もちろん当時は戦争やなんかあったけど、今ほどすさんではいなかった。私達はもう人間でなくなろうとしている。滅亡の風景が見えているのよ。文学なんかオワライ以下でしょー、と言った。この女性はなんで読書会に来たんだろうと思った。