夢の細道

夢日記

八丈島 #79

家の裏山の森の樹木の間の細道を歩いていると、木からなにかが落ちてきて私の右手首に絡みついた。蛇かと思ってギョッとしたが、蛾かなにかの幼虫のようだ。褐色で足がたくさん生えていて体表はつるりんとしている。腕を振って落とそうとしてもブレスレットのように絡んで放れない。左手ではとてもさわれそうにないので、幼虫を木々に叩きつけるようにして手首を木々に打ちつけた。幼虫はグンニャリしてなかなかしぶとい。ゴムのように弾力があって潰れない。何度も打撃を加えてやっと放れたが、幼虫にはダメージがまったくないようだった。

イラン人が遠くを指差して何か叫んでいる。もとより言葉は分からない。そっちの方を見ると茶色の土煙のようなものが空をおおうようにしてコチラに迫ってきているようだった。イラン人達が巨大な土埃がやって来るから家の中にこもって窓や戸を決して開けないようにとほとんどジェスチャーで言った。大砂塵らしい。まもなく辺りは夜のように暗くなった。私達は地震でも起きたかのようにテーブルの下などに身を隠した。数十分もすると、辺りは次第に明るくなって、天井のあちこちから雨漏りのように土埃が筋になって落ちていた。

朝早く、八丈島を歩いている。丸い竹カゴに入れられて崖から海へと蹴落とされる罪人。島抜けした罪人があちこちで射殺される。飢饉の時には殺されなくても飢えで死んでいく、イモの栽培が持ち込まれるまでは。
今日は母が本土からやって来る。魚市場へ行くと、獲れたての海老がぴょんぴょん跳ねていた。海老料理で母をもてなそう。だけど余分な茶碗がない。外食の方が面倒がなくてよさそうだ。海辺に何軒かおいしい魚料理屋がある。クサヤを食べながら島焼酎を飲もう。島の温泉にも母を連れていこう。

お笑い人形 #78

ボクらは釣り船に乗ってルアーを投げていた。舳先から海のうねりを見て嫌な予感がした。うねりの先に黒くて巨大なゴジラが現れて船が沈没しそうになった。そこへ大きなお笑い人形が現れた。「お笑い人形、たすけてくれ!」とボクらは必死で叫ぶと、お笑い人形はこちらを向いてフニャッと笑った。キティちゃんのような顔だ。ゴジラはワラカサレナイヨウ、口から火を噴いた。お笑い人形は燃えない素材で作られている。ゴジラはウシシと笑いながらお笑い人形に背を向けて海底に沈んでいった。お笑い人形はアメリカにスカウトされるかもしれない。

ヘルメットをかぶり背に命綱のようなケーブルをつけ、ジェットコースターが下降するように下へと飛んでいた。これから何かを救いにいくような気分だ。着いた所は熔鉱炉のある作業場のようだった。放射性物質の廃棄をする作業らしい。現場監督のKがいて、今日は同僚のT孃はボクシングの試合のため休みだと言った。熔鉱炉では溶けていく放射性物質があやしい光を点滅させていた。放射能で死ぬかもしれない。どうせそのうち何かで死ぬのだから、まあいいやと思った。

その家には子猫とその親猫が棲んでいた。親猫はしばらく姿を消していた。そこへ新たに迷い子猫が入ってきた。最初は前からいる子猫と迷い子猫は普通にじゃれあっているように見えた。そのうち前子猫が迷い子猫の首もとをシツコク噛んだり舐めたりしている。私は、前子猫が迷い子猫を食おうとしていることに気づいた。慌てて二匹を引き離し、前子猫を外に追い出し、庭でまだこちらを伺っている子猫をホウキで追い払った。親猫が居なくなったのも、あの子猫が食ってしまったような気がした。
家の中に戻ると、迷い子猫は水の入ったポリバケツの中で溺れかけていた。まだ息があるようだったので、子猫をつかみ出してタオルでくるんだ。近くにいたカアサンに新しいタオルと消毒液を持ってくるように頼んだが、なかなか持ってきてくれない。なにもしてくれないんだな、とカアサンに文句を言った。迷い子猫の手当をしてゴハンをあげよう。子猫は安心したように体を私に寄せてくる。この子猫となら仲良しになれそうな気がした。

祭り #77

知らない田舎のオカミの家に居候していた。その日は村の祭りのある日で、その家の子供たちは祭りに出払っていた。夜、私はオカミと外に出ていた。私はオカミが私を気づかって子供らと一緒に祭りに行かないでいると思っていた。祭りに行きたいんじゃないんですかと何度も聞いてみた。オカミははっきりしたことを答えなかった。なにか他の話題を話し合っていた。ふと、足が素足なのに気づいた。蚊に刺されないのが不思議でもあった。オカミもスカートからスネが出ていたので、地元の人は蚊に強いんだろうなと思った。

社内で N孃が私にキャラメルをくれた。健康診断の結果表が配られていた。私の体重は65キロでN孃は68キロだった。私より3キロ重いのはオッパイのせいだろうと言って、しまったと思った。N孃が少し嫌な顔をした。

そこでは私はとある老夫婦と同居していた。そこに実家の父母が車で訪ねてきた。いろんな所を旅行してまわっているのよと母が言った。これからもいろんな所へ行くのだという。たくさん旅行を楽しんで下さいねと私が言った。世話になっている老夫婦に私の両親を紹介せねばと思った。父も母もまだ元気そうだった。

その作業場に新人が入ってきた。私は先輩として、まず朝、ここに入ってきたらノートに名前と住所を記入するようにと言った。そのノートはぶ厚い硬い表紙のファイル型の台帳で、私は記入する箇所を示そうとして、なかなか見つからない。ついさっき自分のを記入したばかりなのに。いくらめくっても見あたらない。一冊しかないから間違えようがない。何故だろう、不思議だ。ノートを何度も点検している内に一万円札が三枚出てきた。しめたと思った。素早く尻のポケットにねじ込んだ。こないだカアサンから小遣いをもらったばかり。今月は余裕だなと思った。

無生物惑星 #76

獣医の学校へ行って勉強していた。獣医になって動物に囲まれて暮らすのもいいなと思った。次には、クワを持って畑を耕していた。お百姓さんもイイ感じ。近所に私の畑仕事を邪魔する意地悪ジイサンがいた。私の野菜作りに口うるさくチャチを入れてくるだけでなく、作業を妨害してくる。同じ百姓仲間として許せることではないので、馬をぶつムチを用意してジジイを打ちのめした。思い知ったかあ、と言ってやった。
先日、テレビでタリバンが女性たちをムチでぶっているのを見て、思わず声を出して笑ったら、カアサンにこっぴどく叱られた。

千葉県の地図の房総半島の海岸線を子細に点検していた。敵は海から攻めてくる。敵の艦隊を迎え打たなければならない。戦闘機か潜水艇かで。
攻撃に出る前にメシを食っておこう。白メシに缶詰のオカズより野菜入りチャーハンのほうが食べやすそうだ。チャーハンを腹一杯食べて出撃しよう。
ワレワレは潜水艇で海へと乗り出した。運よく敵を蹴散らし、月だか火星だか生物のいない惑星に到着した。ミッフィーちゃんはまだ寝ているかもしれない。🐰

ブラジル #75

中村雅俊がベニート ジ パウラの70年代のデビュー曲にして大ヒット曲「愛の終わりのサンバ」を歌っていたが、声質は似ているものの、本人のベニートに比べると、貧弱で見劣りのするものだった。どちらももうオジイチャンだ。
アゴスティーニョ ドス サントスは絶頂期にフランスの空港で飛行機事故で亡くなった。ジョアン ジルベルトはついこないだ、ご高齢で死んだ。エミリオ サンチアゴは10年くらい前に脳溢血で倒れた。マシュケナダやコンスタントレインの初期の作品に味のあるジョルジ ベン、サラボーンとの共演がグッとくるミルトン ナッシメント特にWE LOVE Brasil の「courage」ね、セルジオ メンデスのプロデュースのものはあまりいただけない、彼は四十過ぎてからちょっとおかしい。
カエターノ ベローゾやジルベルト ジルもまだ健在らしい。

ブラジルへ行くことなった。熱帯の大都市サンパウロ、情熱と悪とがトグロを巻く大蛇に巻き付かれて窒息しそうな陰影とガラスの破片を打つキラキラした光にまぶされて、幾度となく屈折と挫折を繰り返し、落胆しては芽吹く植物のような茂みを忘却へ、裏切りへ、明るみのない淀みが続く停滞へ、かすかに希望をほの見る深みのない浅はかさへ、そして、淋しさと、翳りに、鮮やかな虹に、サウダージを。
ブラジルへ行く前にパンチパーマにしようと思った。若い連中がそれを笑った。ニアワナイッスヨ。そうかもしれない。

救助隊 #74

新島に移住しようと思っていた。新島は浜松町の桟橋から高速フェリーで2時間半で行ける。新島の釣り具店のオヤジのブログをチョクチョク覗いていた。ムロアジやカンパチやハガツオ、ブリッコ、シマアジ、ヒラメ、メジナ、イサキ、etc.
その日はリサーチに初めて新島を訪れた。昼前に着いて、新島港で得意のカゴ釣りを試みた。釣れない。では撒き餌をまいてフカセ釣りにきり替えた。釣れない。それじゃあと、ルアーを投げまくった。釣れない。こんなにもなあんにも釣れない島だったのか。移住しなくてよかった、と思った。

晦日。カアサンが手にブラジャーをぶら下げて突っ立っていた。コレ、ナアニ?とカアサンが私に言った。なんだろうと私も驚いた。カアサンが自分のブラジャーを目の前でぶら下げているとしか思えない。カアサンは私が他の女のブラジャーを持ってきて隠していたと思っているらしい。ソレ、カアサンノデショ、と言うが、カアサンはソレを私の部屋で発見したのだという。シンガイだ。なんというシンガイだ、と私は顔色を変えて怒り出す。

そこは大企業の大ホールで、部署替えの発表会があるようだった。入口で2枚の説明書を渡された。ホールに入ってすぐに顔見知りの男に呼び止められた。君はこっちだよ、と手招きしている。狭い部屋に数人の男たちがいた。カチンとくる奴はくるんだよ、と私を呼んだ男が、落ち着いている私を不信がっているように言った。私にはなんの違和感もなかった。がっかりするってことですか、と聞くと、そうだという。その入口附近の狭い部屋は、社内の落ちこぼれの溜まり場らしかった。一番使えない連中を集めたらしい。
時間がきて、責任者が説明を始めた。私は眠くて閉じたままの目を指で上下のマブタを無理にこじ開けた。「この部屋に集まった者は遭難者の救助隊の任務を行うことになります。」と言った。いい仕事じゃないか、カアサンにも自慢できると思った。

ハブの島 #73

高速道路を自転車🚲で逆走していた。何処を走っているのか分からなくなっていた。サービスエリアに入ってサービスカウンターで地図をみたり、柱や窓や掲示板の地図を見てもサッパリ分からない。
ふと、トイレに行きたくなった。サービスエリアの店の中の通路の脇に便器が、なんの仕切りもなく置いてあった。私は自分のソチンがみんなに見られるのを恐れながら便器のフタをあけて小用を果たした。

浅草にある転職先の小さな出版社に挨拶に来ていた。観光案内書などを手がけている出版社だった。そこの社長は初老の男で、いつ引っ越してくるのか、と私に尋ねた。12月中には、と私は答えた。長い間、中近東でヒツジ🐑やヤギに似ている人達と暮らしていたせいで、日本のことは分からなくなっていた。帰国後は実家に居候しながら仕事を探していた。なるべく会社の近くに住もうと思っている。余暇には浅草サンバチームにくわわってパーカッションの練習をしよう。日本に来ている留学生を口説いて同棲してみよう。

ヘビを見ればハブと思え的な島にいた。道端に死んだハブがころがっているのを見た。
そこへ広告代理店の男がやって来て、追加広告のゲラ刷りと請求書を持ってきた。ゲラ刷りの中には、縁側から覗いた畳の部屋に二人の女性が服を着たまま昼寝している光景のもあった。女性はミホさんとマヤさんと思われる。ミホさんは、先に亡くなったマヤさんをこの地に埋葬し、後に自分も同じ場所に収まった。夫の島尾敏雄氏の墓は実家の福島県相馬市にあるという。分骨して、ミホさんの所にも彼の骨の一部が納められているらしい。(これは彼が死んでも分裂しなければならなかったことを表しているのだろうか?死の棘はまだ血を流し続けているのか。)
奄美加計呂麻島は、敏雄氏とミホさんの出会いの島だった。(又吉氏のお母さんもこの島の出身らしい。)
さて、追加広告の掲載には専務の承認が必要だったので、専務のA氏に、ゲラ刷りと請求書と承認印を押す判取帳を渡した。