夢の細道

夢日記

ひきしお #72

干潮の波際の岩場の間を歩いていた。引き潮が岩の隅々に小さな水棲の生き物たちを残していった。ウツボがくねくねしているのも見えた。ずっと向こうに釣り船が一艘浮かんでいるのが小さく見えた。やがて湾沿いの道路際に建物が見えだした。ホテルとレストランを兼ね備えたドライブインだ。棕梠の木が調子外れに並んでいた。時おり何かを思い出したかのように車が通り過ぎた。この辺にいつから住んでいたのだろうか。いつまでの生活があったのだろうか。引き潮のように夢が引いていった。

コロナのために昼でも空いている店が少なくなっていた。私はビルの中に営業している店を見つけ、天ぷらソバを頼んだ。満席だったので、注文だけして外で待った。ソバ屋の店員が出てきて、席が一つ空いたが、先払いだから金をくれと言った。こんなご時勢だから金に色をつけてくれという。私は財布を覗いて、五百円玉を渡すと、こんなんじゃあダメだと言う。それで五千円札を渡して、ちゃんと釣りをくれよと、店員に言った。店の前に、小さく四角にたたんだ千円札が落ちているのを見つけ、それを拾って店の中に入った。

鹿児島だか奄美大島だかの島尾敏雄家を訪れていた。敏雄氏は不在か、亡くなっていたか、だった。彼の五十代くらいの妻のミホさんが、私を優しく迎えてくれた。家の中で、赤いワンピースの長女のマヤさんが、私に軽く会釈して通り過ぎた。私はミホさんや長男の伸三氏を本やネットで見ていたが、マヤさんは見たことがなかった。それで興味津々で、その顔を覗き込むようにして見てみた。チラッと横顔だけだったが、美人のように思えた。
庭に出ると、ミホさんが椅子に腰掛け、膝の上に水をはったタライをのせ、その中に浸した四角い紙の、あらかじめ印のついているところへ鉄串のようなものを刺して穴をあけていた。なにかの紙のフィルターを作っているらしい。私も隣の椅子に腰掛けていると、マヤさんがやって来て、私の前に立ち止まった。私は見上げるようにしてマヤさんの顔を見ると、マヤさんは白い仮面をつけていた。マヤさんは手を伸ばして私の右手の中指に、指輪をはめるように、リボンを結んだ。ミホさんは微笑んでいた。私は、ありがとうございます、と立ち去るマヤさんの後姿に礼を言った。私の目は涙でうるんでいた。ある感激があって、泣き出すのをこらえていた。