夢の細道

夢日記

祭り #77

知らない田舎のオカミの家に居候していた。その日は村の祭りのある日で、その家の子供たちは祭りに出払っていた。夜、私はオカミと外に出ていた。私はオカミが私を気づかって子供らと一緒に祭りに行かないでいると思っていた。祭りに行きたいんじゃないんですかと何度も聞いてみた。オカミははっきりしたことを答えなかった。なにか他の話題を話し合っていた。ふと、足が素足なのに気づいた。蚊に刺されないのが不思議でもあった。オカミもスカートからスネが出ていたので、地元の人は蚊に強いんだろうなと思った。

社内で N孃が私にキャラメルをくれた。健康診断の結果表が配られていた。私の体重は65キロでN孃は68キロだった。私より3キロ重いのはオッパイのせいだろうと言って、しまったと思った。N孃が少し嫌な顔をした。

そこでは私はとある老夫婦と同居していた。そこに実家の父母が車で訪ねてきた。いろんな所を旅行してまわっているのよと母が言った。これからもいろんな所へ行くのだという。たくさん旅行を楽しんで下さいねと私が言った。世話になっている老夫婦に私の両親を紹介せねばと思った。父も母もまだ元気そうだった。

その作業場に新人が入ってきた。私は先輩として、まず朝、ここに入ってきたらノートに名前と住所を記入するようにと言った。そのノートはぶ厚い硬い表紙のファイル型の台帳で、私は記入する箇所を示そうとして、なかなか見つからない。ついさっき自分のを記入したばかりなのに。いくらめくっても見あたらない。一冊しかないから間違えようがない。何故だろう、不思議だ。ノートを何度も点検している内に一万円札が三枚出てきた。しめたと思った。素早く尻のポケットにねじ込んだ。こないだカアサンから小遣いをもらったばかり。今月は余裕だなと思った。

無生物惑星 #76

獣医の学校へ行って勉強していた。獣医になって動物に囲まれて暮らすのもいいなと思った。次には、クワを持って畑を耕していた。お百姓さんもイイ感じ。近所に私の畑仕事を邪魔する意地悪ジイサンがいた。私の野菜作りに口うるさくチャチを入れてくるだけでなく、作業を妨害してくる。同じ百姓仲間として許せることではないので、馬をぶつムチを用意してジジイを打ちのめした。思い知ったかあ、と言ってやった。
先日、テレビでタリバンが女性たちをムチでぶっているのを見て、思わず声を出して笑ったら、カアサンにこっぴどく叱られた。

千葉県の地図の房総半島の海岸線を子細に点検していた。敵は海から攻めてくる。敵の艦隊を迎え打たなければならない。戦闘機か潜水艇かで。
攻撃に出る前にメシを食っておこう。白メシに缶詰のオカズより野菜入りチャーハンのほうが食べやすそうだ。チャーハンを腹一杯食べて出撃しよう。
ワレワレは潜水艇で海へと乗り出した。運よく敵を蹴散らし、月だか火星だか生物のいない惑星に到着した。ミッフィーちゃんはまだ寝ているかもしれない。🐰

ブラジル #75

中村雅俊がベニート ジ パウラの70年代のデビュー曲にして大ヒット曲「愛の終わりのサンバ」を歌っていたが、声質は似ているものの、本人のベニートに比べると、貧弱で見劣りのするものだった。どちらももうオジイチャンだ。
アゴスティーニョ ドス サントスは絶頂期にフランスの空港で飛行機事故で亡くなった。ジョアン ジルベルトはついこないだ、ご高齢で死んだ。エミリオ サンチアゴは10年くらい前に脳溢血で倒れた。マシュケナダやコンスタントレインの初期の作品に味のあるジョルジ ベン、サラボーンとの共演がグッとくるミルトン ナッシメント特にWE LOVE Brasil の「courage」ね、セルジオ メンデスのプロデュースのものはあまりいただけない、彼は四十過ぎてからちょっとおかしい。
カエターノ ベローゾやジルベルト ジルもまだ健在らしい。

ブラジルへ行くことなった。熱帯の大都市サンパウロ、情熱と悪とがトグロを巻く大蛇に巻き付かれて窒息しそうな陰影とガラスの破片を打つキラキラした光にまぶされて、幾度となく屈折と挫折を繰り返し、落胆しては芽吹く植物のような茂みを忘却へ、裏切りへ、明るみのない淀みが続く停滞へ、かすかに希望をほの見る深みのない浅はかさへ、そして、淋しさと、翳りに、鮮やかな虹に、サウダージを。
ブラジルへ行く前にパンチパーマにしようと思った。若い連中がそれを笑った。ニアワナイッスヨ。そうかもしれない。

救助隊 #74

新島に移住しようと思っていた。新島は浜松町の桟橋から高速フェリーで2時間半で行ける。新島の釣り具店のオヤジのブログをチョクチョク覗いていた。ムロアジやカンパチやハガツオ、ブリッコ、シマアジ、ヒラメ、メジナ、イサキ、etc.
その日はリサーチに初めて新島を訪れた。昼前に着いて、新島港で得意のカゴ釣りを試みた。釣れない。では撒き餌をまいてフカセ釣りにきり替えた。釣れない。それじゃあと、ルアーを投げまくった。釣れない。こんなにもなあんにも釣れない島だったのか。移住しなくてよかった、と思った。

晦日。カアサンが手にブラジャーをぶら下げて突っ立っていた。コレ、ナアニ?とカアサンが私に言った。なんだろうと私も驚いた。カアサンが自分のブラジャーを目の前でぶら下げているとしか思えない。カアサンは私が他の女のブラジャーを持ってきて隠していたと思っているらしい。ソレ、カアサンノデショ、と言うが、カアサンはソレを私の部屋で発見したのだという。シンガイだ。なんというシンガイだ、と私は顔色を変えて怒り出す。

そこは大企業の大ホールで、部署替えの発表会があるようだった。入口で2枚の説明書を渡された。ホールに入ってすぐに顔見知りの男に呼び止められた。君はこっちだよ、と手招きしている。狭い部屋に数人の男たちがいた。カチンとくる奴はくるんだよ、と私を呼んだ男が、落ち着いている私を不信がっているように言った。私にはなんの違和感もなかった。がっかりするってことですか、と聞くと、そうだという。その入口附近の狭い部屋は、社内の落ちこぼれの溜まり場らしかった。一番使えない連中を集めたらしい。
時間がきて、責任者が説明を始めた。私は眠くて閉じたままの目を指で上下のマブタを無理にこじ開けた。「この部屋に集まった者は遭難者の救助隊の任務を行うことになります。」と言った。いい仕事じゃないか、カアサンにも自慢できると思った。

ハブの島 #73

高速道路を自転車🚲で逆走していた。何処を走っているのか分からなくなっていた。サービスエリアに入ってサービスカウンターで地図をみたり、柱や窓や掲示板の地図を見てもサッパリ分からない。
ふと、トイレに行きたくなった。サービスエリアの店の中の通路の脇に便器が、なんの仕切りもなく置いてあった。私は自分のソチンがみんなに見られるのを恐れながら便器のフタをあけて小用を果たした。

浅草にある転職先の小さな出版社に挨拶に来ていた。観光案内書などを手がけている出版社だった。そこの社長は初老の男で、いつ引っ越してくるのか、と私に尋ねた。12月中には、と私は答えた。長い間、中近東でヒツジ🐑やヤギに似ている人達と暮らしていたせいで、日本のことは分からなくなっていた。帰国後は実家に居候しながら仕事を探していた。なるべく会社の近くに住もうと思っている。余暇には浅草サンバチームにくわわってパーカッションの練習をしよう。日本に来ている留学生を口説いて同棲してみよう。

ヘビを見ればハブと思え的な島にいた。道端に死んだハブがころがっているのを見た。
そこへ広告代理店の男がやって来て、追加広告のゲラ刷りと請求書を持ってきた。ゲラ刷りの中には、縁側から覗いた畳の部屋に二人の女性が服を着たまま昼寝している光景のもあった。女性はミホさんとマヤさんと思われる。ミホさんは、先に亡くなったマヤさんをこの地に埋葬し、後に自分も同じ場所に収まった。夫の島尾敏雄氏の墓は実家の福島県相馬市にあるという。分骨して、ミホさんの所にも彼の骨の一部が納められているらしい。(これは彼が死んでも分裂しなければならなかったことを表しているのだろうか?死の棘はまだ血を流し続けているのか。)
奄美加計呂麻島は、敏雄氏とミホさんの出会いの島だった。(又吉氏のお母さんもこの島の出身らしい。)
さて、追加広告の掲載には専務の承認が必要だったので、専務のA氏に、ゲラ刷りと請求書と承認印を押す判取帳を渡した。

ひきしお #72

干潮の波際の岩場の間を歩いていた。引き潮が岩の隅々に小さな水棲の生き物たちを残していった。ウツボがくねくねしているのも見えた。ずっと向こうに釣り船が一艘浮かんでいるのが小さく見えた。やがて湾沿いの道路際に建物が見えだした。ホテルとレストランを兼ね備えたドライブインだ。棕梠の木が調子外れに並んでいた。時おり何かを思い出したかのように車が通り過ぎた。この辺にいつから住んでいたのだろうか。いつまでの生活があったのだろうか。引き潮のように夢が引いていった。

コロナのために昼でも空いている店が少なくなっていた。私はビルの中に営業している店を見つけ、天ぷらソバを頼んだ。満席だったので、注文だけして外で待った。ソバ屋の店員が出てきて、席が一つ空いたが、先払いだから金をくれと言った。こんなご時勢だから金に色をつけてくれという。私は財布を覗いて、五百円玉を渡すと、こんなんじゃあダメだと言う。それで五千円札を渡して、ちゃんと釣りをくれよと、店員に言った。店の前に、小さく四角にたたんだ千円札が落ちているのを見つけ、それを拾って店の中に入った。

鹿児島だか奄美大島だかの島尾敏雄家を訪れていた。敏雄氏は不在か、亡くなっていたか、だった。彼の五十代くらいの妻のミホさんが、私を優しく迎えてくれた。家の中で、赤いワンピースの長女のマヤさんが、私に軽く会釈して通り過ぎた。私はミホさんや長男の伸三氏を本やネットで見ていたが、マヤさんは見たことがなかった。それで興味津々で、その顔を覗き込むようにして見てみた。チラッと横顔だけだったが、美人のように思えた。
庭に出ると、ミホさんが椅子に腰掛け、膝の上に水をはったタライをのせ、その中に浸した四角い紙の、あらかじめ印のついているところへ鉄串のようなものを刺して穴をあけていた。なにかの紙のフィルターを作っているらしい。私も隣の椅子に腰掛けていると、マヤさんがやって来て、私の前に立ち止まった。私は見上げるようにしてマヤさんの顔を見ると、マヤさんは白い仮面をつけていた。マヤさんは手を伸ばして私の右手の中指に、指輪をはめるように、リボンを結んだ。ミホさんは微笑んでいた。私は、ありがとうございます、と立ち去るマヤさんの後姿に礼を言った。私の目は涙でうるんでいた。ある感激があって、泣き出すのをこらえていた。

緋牡丹お竜 #71

下田の小さな湾に釣りに行った。人出が多く子供達もたくさんいた。海面の少しのスペースを狙って釣り仕掛けを投入した。子供に引っ掛からないかとハラハラした。途中、小用で、置き竿にして公衆トイレ🚻に行った。
戻ると竿は無事にあったが、なにもかかってなかった。アオリイカを狙っていた。私の竿の番をしていたらしい男は、そこの場所は釣りには不適切だと言った。子供が多すぎるし、さっぱり釣れない。というわけで、私達は場所を変えることにした。去年はアオリイカを一匹釣ったのだが、と思った。

O嬢が会社の金を持って失踪した。上司が、あれはヤバイ金だから警察には届けられない、私に何とかしてくれ、という。O嬢の消息に詳しいのは従姉のユミさんだけだ。ひどくお世話になっていたにもかかわらず、何年も交信が途絶えていた。こういうことがあるから、案外、親戚付き合いは大事だなと思い知らされた。私に、いつの間にか親戚付き合いは皆無になっていた。

料理教室で女の先生の指導のもとで、パーティー料理を作っている。大きな長テーブルに料理を見栄えよく並べる。そこに女の先生より偉い高倉健先生が現れて、すべての料理を完全にくつがえして並び替えた。パーティー料理が見違えるほどに美しく豪華に早変りした。小皿をふんだんに使用している。私達はその魔術的技法に驚嘆した。試食タイムで高倉先生は姿を消したので、これ幸いと私達は気ままに料理を味わうことができた。おいしいそうな肉料理を秘伝のタレにつけて食べる。 旨みが口から胃の腑へと広がった。
女の先生は藤純子だった。数日前にテレビで見た映画「緋牡丹博徒」の影響だ。かなり古い映画で、藤純子扮する緋牡丹お竜が、悪漢ヤクザ達に襲われている時に、偶然通りかかったムショ帰りの流れ者ヤクザの高倉健に助けられるという出だしで、チャンネルを変えにくくなった。
緋牡丹お竜は、父親や子分の仇討ちに、悪漢親分邸に殴り込みに行くのだが、助太刀に来た高倉健が、お竜をかばって死んでしまう。